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私たちはいま、歴史をつくっている(2)

ごく普通の庶民である私が、
いま、これならできるかも、と思っていること、
それは、

自分が感染していると「想定して」行動し、
他者にうつさないように、必死に努力すること。

です。

たとえ感染しても、人にうつさなければ、感染拡大を防ぐことができます。
それが無理でも、一人から、一人への感染なら、
なんとか、感染爆発にはなりません。

これまでの感染者の8割は、人にうつしていないそうです。

その一方で、ひとりで、多くの人に感染させてしまう人もいます。

その差は、どこにあるのでしょう?

私は感染症の専門家ではありませんから、
間違っているかもしれませんし、
あくまでも私見ですが、それには、
「自分が感染していると思っていない」ことが
大きく関わっているような気がしています。

自分が感染することだけを考えれば、
「感染は怖いけど、そこは自己責任で」
と、他のことを優先しよう、と思う人もいるでしょう。
でも、このとき、
「感染した自分が、他の人にうつしてしまったら......」
と考えたら?

他者にうつしてしまった人も、悪気があったわけじゃないと思うのです。
そこまで思い至らなかった、ということはあっても、
自分が感染していると思ったら、
ほとんどの人は、人にうつさないように一生懸命になると思うのです。

8割の人がうつしていない、という事実が示しているのは、
そういう努力をすれば、うつさずに済む可能性がある、ということで、
私は、これを知ったとき、ほんっと~にうれしかったし、
ほっとしました。

ただ、新型コロナの怖いところは、
感染していても症状がでないことがある
(つまり、自分でも気づくことができない)ところで、
だからこそ、大切なのは
「感染していると想定する力」だと思うのです。

実際、いま、私(あるいはあなた)が感染している確率は
0ではありませんよね。
感染していても、まったく症状がでない人もいるのですから。
しかも、いまは感染していなくても、
明日は感染するかもしれないんです。

だから、この「無症状のとき、どう過ごすか」が、
感染拡大を防ぐために、とても大切だと思うのです。

気づくことができないなら、「想定する」しかありません。

症状が出てから(あるいは陽性になってから)ではなく、
症状がまったく出ていない、いま、このときに、
「自分はいま、感染している可能性が0ではないのだ」と、
本気で思いながら暮らすことができれば、
きっと、私たちは、感染拡大を防ぐ切り札になれます。

例えば、
自分が感染しているかもしれないと思っていたら、
友だちを守るためにも、
「この時期だから、いまは、ごめんね」と、言って、
一緒に食事はしないでしょう。

しゃべっているときって、
目に見えない、ごく小さな飛沫がたくさん飛んでいます。
食事中、マスクは出来ませんし、
しゃべれば飛沫(つば)は飛びますよね。
実際、友だちとの食事で感染した(らしい)という人がいます。

飛沫感染って、避けがたいです。
感染している人と、マスクをせずに、
2メートルの距離をあけずに、
わずか3~4分おしゃべりしたら、
それだけでも感染する可能性があるようですから、
公園で立ち話ぐらいなら、
マスクしなくてもいいよね、外だし、
ということでもないわけです。

まあ、それでも、友だちから一緒に食事しようと言われて、
それを断るのって、心苦しいですよね。
「他の人を守るために正しいことをしたいから」
という理由で断ったら、
誘った友だちを馬鹿にすることになりますし。

そういうときは、「私が臆病過ぎるのかもだけど」
と、言ってみたら、
友だちは、怖いなら無理しなくていいよ、
と、思いやってくれるかも。
たったそれだけのことで、
友だちや、友だちの家族を守れるというのは、
考えてみればすごいことです。

さらに考えれば、そういう小さな努力で守れるのは、
友だちだけではないですよね。
例えば、友だちのお母さんが看護師さんだったら、
医療崩壊を防ぐ手助けができますし、
友だちのお父さんの会社の人たちを
たすけることにつながり、
もっと言えば、感染者の数を減らすことで、
死者を減らすことだってできる。

逆に言えば、
「たったそれだけのこと」をしなかったら、
私たちは、人を殺してしまうかもしれないんです。

大袈裟に聞こえるでしょうか。
でも、これはいま、現実に起きていることで、
ニューヨークの現状、イタリアの現状が、
それを私たちに、見せてくれています。

新型コロナは、
私たちが、この世界のすべての人とつながっていることを、
はっきりと見せてくれています。

たったひとりの「私」はちっぽけな存在ですが、
そのひとりが感染し、他の人にうつせば、
どんどん、はるか遠くの人たちにまで、感染は広がっていく。

「ちっぽけな私」が、
なんと、とんでもない力を持っていることか!

ならば、その力を、良い方に使ってみせましょうよ。

家族と食事を別にするのは、もっと難しいかもしれない。
それでも、
おしゃべりをしても唾が飛ばないくらい
離れて食事をしたり、
食器の取り扱いを注意する、
というような工夫は、なんとか、出来るような気がしますが、
無理な場合は、家族以外の人にうつさないようにしようね、と、
家族で話しておくのも手かもしれませんね。

友だちも、家族の誰も、わかってくれなければ、
大声で主張しなくてもいい。
ひとりで、そっと心の中で「出来るだけのことをしよう」と思う。
それでも良いと思います。

たったひとりでも行動を変えたら、感染者の数は変わります。
たったひとりの「私」には、それだけの力があるのですから。

笑う人はいるでしょう。
馬鹿にする人もいるでしょう。

それでも、家にいましょう。
なるべく、人に会わないようにしましょう。
正しい方法で(これが大事!)手を洗いましょう。

それぞれの判断が、どんな結果をもたらすかは、
あと、数週間もすれば見えてきます。
そして、未来の子どもたちは、歴史の教科書で、その結果を読むことでしょう。

私たちはいま、歴史を作っているのです。

間違いなく、世界史に残る大惨事の中を、
それぞれが知恵を絞って生き延び、他者を助けようとして、生きている最中です。
本気で、他者を思って生き、
ひとりでも多くの人を助けようじゃありませんか。

ちなみに、感染しないことは、極めて難しいです。
私は、「そこまでやる?」と
友だちにあきれられるような暮らしをしていますが、
それでも、感染することは避けられないだろうな、
と覚悟していますし、
まったく、人にうつさずに生きることは無理かもしれないと、
毎日恐怖をおぼえています。
それどころか、
何かのきっかけで多くの人に感染連鎖させてしまうかもしれないと、
恐れています。

それでも、努力を続けることは無駄ではない、
感染症との戦いは、
オール・オア・ナッシングではないのだから、と、
自分に言い聞かせています。

感染させるリスクをゼロに出来ないから無駄、ではなく、
自分がそうしようと懸命に努力することで、
わずかにでも感染リスクを減らせたら、
感染リスクを増やすより、
遥かに、遥かに意味があるはずですから。

世界の片隅に暮らす、ちっぽけな「私」こそが、
いま、このとき、
感染を拡大させないための
最も大切な切り札なのだと思って、
生きていられる間、生きて行こうと思っています。

疲れますよね、本当に。
でも、ワクチンが出来るまでの辛抱です。
長いトンネルの先に光はある。

大切な人たちを、トンネルの先の、光の中へ出してあげるために、
そして、この危機を生き延びたとき、
ちっぽけな自分がしたことを、
そっと心の中で誇れる日が来るように、
お互い、がんばりましょう!

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